『ラブライブ』を追いかけるモチベーション
どうも、ズッキーニです!
まず、
ラブライブ 11周年
Aqours 6周年
おめでとうございます
!!!!!!!!!!!!
!!!!!!!!!!!
!!!!!!!!!!!!!
!!!!!
めでたい!
早速ですが!
ブログの内容はこちらでぇぇぇぇぇぇす!!!(え?)
【タグ企画】
— 生春 (@Time_mrsi) 2021年6月11日
ラブライブ!誕生日の6/30夜に同じテーマで書いたコトバを同時投稿する企画をやりたいと思います!
それぞれ答えが違うからこそ不正解もないし面白いと思うので、興味ある方はよろしくお願いします!
【あなたがラブライブ!を追いかける上で大切にしているものを、3つ教えてください】 pic.twitter.com/aAFJNTLmPE
いろんな人がブログを始める中で、なかなか自分の思いをアウトプットすることができなくて。
そんなときに、こんな企画をお見かけしました。
それに、6月30日という、ラブライブ!にとってとても大切な日ですから、いい機会だと思いました。
というわけで、僕もこの企画に参加するべく、この記事を書かせていただきました!
記事の構成はこんな感じです。
(※スクスタ28章についても触れていますので、ネタバレ厳禁な方は「世界観」をすっとばすことをおすすめします。)
ラブライブ!を追いかける上で大切にしていること
僕がラブライブ!を追いかける上で大切にしていること、それは、
『 ラブライブ 』であること
案外この考えに行きつくには時間はかかりませんでしたが、
じゃあ、「『ラブライブ」であること」って何だろう。
自分でも2週間悩みまくりましたし、ここで僕が出した答えに自分でも納得しきれていません。
人によっても出す答えは違うものでしょう。
それに、たくさんの人がこの問いに向き合ったことがあるであろう中、自分の答えを話すのは正直怖いです。
それでも、まがりなりにも自分の思いを伝えることの大切さをラブライブ!を通して学んだわけですから、今の自分が出す答えを書いていきたいと思います。
繋がり
奇跡、輝き、虹、夢、トキメキ・・・
ラブライブ!シリーズそれぞれの特長を表す言葉は様々あります。
でも、それぞれの特長ではあるかもしれないけれど、結局どのシリーズにもばっちり共通して当てはまる言葉なんですよね。
μ'sがラブライブに出て、奇跡を起こしてラブライブを広げて、
μ'sの背中を追って活動を始めたAqoursが、自分たちだけの輝きを見つけて、今でも走り続けて次へ繋ぎ続けて、
虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会がラブライブ!の固定観念をぶち壊して、ラブライブ!の可能性を広げて、
これまでのラブライブ!を客席で見ていた女の子が、今度は自分自身がスクールアイドルとして走り出す。
A-RISEを見た穂乃果のように、μ'sを見た千歌のように、ラブライブに憧れていたであろう優木せつ菜のように、優木せつ菜を見た歩夢のように。
(ところで、優木せつ菜と優木あんじゅ…気になりますね)
当然それぞれが目指したことは違うし、物語も違います。
でも、どこかが欠けていたら今のラブライブ!はありませんでした。
ちなみに、僕はふとした時に、虹ヶ咲のここのシーンってμ’sでも似たようなのがあったよなとか、始まりは君の空も君のこころは輝いてるかい?も歌い手や一つ一つの歌詞は違っても伝えたいことって似てるよなとか、そんな風に感じながら受け取ってしまうんです。
作品の垣根を超えてシリーズが繋がっていることには、いつになってもこみ上げてくるものがあります。
世界観
僕が取り上げるのは、悲しみと憎しみが残らない世界観。
スクスタ28章を題材に書き始めたいと思います(それ1本でブログ上げる予定もないですし...)。
20章の途中からずっと思ってたけど(21章読んだ前後で変わらない考えだからネタバレじゃないつもり)、同好会と部では目指すところが違うだけで本来対立する必要がなかったと思ってるし、誰も悪いわけじゃないと思う
— ズッキーニ (@zucchini1230) 2020年12月3日
これはたぶん21章が公開された後のツイートですね。
このツイートとスレッドを読んでいただければわかるとおり、この考えと28章との間にはだいぶ差があって、この時の自分の考えのままだったらこの記事は完成することはなかったでしょう。
ランジュがスクスタに登場して以降、スクスタはメインストーリーが上がるたびに炎上し、「ランジュ」と検索しようとすると「嫌い」という候補まで勝手に出てくるくらい、作品の内外でランジュは同好会の敵としての評価を受けていました。
そんなランジュには、誰にも理解されてこなかったという過去があり、今回もまたスクールアイドルを諦める決断をする。
そんなランジュの過去を知り、スクールアイドルとしてのランジュの姿を見た同好会のメンバーたちは、ランジュの本当の気持ちに気付いて、ランジュを引き留めるべく、彼女のための曲を作る。
その曲を聴いたランジュは、再びスクールアイドルとしてステージに立つのだった。
とまぁ、28章はざっくりこんな感じでしたね。
ランジュは当然スクールアイドル同好会が嫌いだったわけでもなければ、否定しようとしたかったわけでもありません。
振り返れば、栞子もそうでした。ダイヤ、果南、絵里なども似たようなことがありました。
それぞれ憎まれ役のような立ち振る舞いをしている場面がありましたが、その根底にあるものは挫折や諦め、そして思いやりでした。
思いやりがあるけれど、憎まれる立場になってしまう。
いつだって足りないのは、お互いを理解しようとすることでした。
けれど、ラブライブ!の登場人物は、どんな人でもいいところは素直に認め、いつだって手を伸ばして、心での対話を続けてきました。
だからこそ、最後はお互いを理解することができるし、高め合うことができるのだと思います。
そして、メタ的なことをいうと、
「憎まれ役がただの憎まれ役なわけがなかろう?これはラブライブ!ぞ?」
と思うわけです。
無印、サンシャイン、アニガサキ、と制作側のラブライブ!愛と熱はどんどん強くなっていっています。栞子加入だって構想3年っていうじゃないですか。
そんな制作側が手放しに憎まれ役を投入するわけがないじゃないですか。
ラブライブ、スクールアイドルの素晴らしさをもっと広げたい、自分たちが解散することでそれをだめにしたくない。μ'sが出した答えは SUNNY DAY SONG。
ラブライブ準決勝で挫折を味わい、自分に否定的になる理亞のために。AqoursとSaint Snowが出した答えは「ラブライブ決勝延長戦」。
挫折や悲しささえ残さない。
ラブライブ!っていつでもそうでした。
まさにラブライブ!ぞ?
受け手
ここで言う「受け手」とは、μ'sにとってのこれからスクールアイドルを好きになる人、Aqoursにとっての浦の星女学院の生徒、虹ヶ咲にとっての「あなた」/「みんな」。
(※μ'sについては劇場版、Aqoursについてはアニメ2期、虹ヶ咲についてはスクスタのキズナエピソードのイメージを採用しています。どこのマスコミでしょう、とんでもない偏った切り取り方ですね。)
彼女たちは自分たちのやりたいことに向かって進みながらも、時に「受け手」のために活動を行い、時に「受け手」が彼女たちのための行動を起こし、「受け手」と共に成長しながら物語を創り上げています。
そして、ラブライブ!シリーズにとっての僕たちもまた、「受け手」であります。
中には「受け手」であった人が制作に参加するようになったり、「受け手」のアイデアが作品に取り入れられたり、ラブライブ!もまた「受け手」と共に物語を創り上げてきました。
まさに「みんなで叶える物語」であり、ラブライブ!にとって僕たちも必要不可欠な存在って言っちゃっていいですよね?
僕がずっと夢見ていること
それは
全員で SUNNY DAY SONG を一緒に歌うこと
ご存じのとおり、SUNNY DAY SONGは全てのスクールアイドルのための歌。
現時点ではμ'sの曲にほかなりませんが、それは確かに「スクールアイドル」の歌なのです。
ラブライブ!The School Idol Movieでは、(参加を希望した)スクールアイドルとスクールアイドルを応援する人全員が参加したライブが披露されていました。
ならば、現実にもμ's以外のスクールアイドルも参加できるのでは?
まさに夢のようです。
これまで色んなアンケートでも常々書き続けてきましたし、これからも言い続けていくつもりです。夢のままで終わらせたくない。
これは希望ではありません。必ず成し遂げる義務です。
まあ、義務とはさすがに言いすぎではありますが(この台詞の発言者である葉月恋さんには申し訳ない...)、本当にいつか必ずみんなで一緒に歌いたいです。
そしてそれが叶うべき場、”ラブライブ!フェス”
「いざSUNNY DAY SONGが披露された日には、ラブライブシリーズも終わりかぁ」
なんて想像もしてしまったこともありますが、24時間テレビのサライのごとく、恒例になってくれればいいですよね!
「やりたいこと」はまだわからないですが、これが今の僕の夢です。
まとめ
ちょっと脱線はありましたが、「『ラブライブ」であること」について考えてみました。
虹ヶ咲のソロ活動やスクスタとアニメでの全く異なるストーリー展開など、それまででは考えられなかった新しい風が、今まさにどんどん吹き込んでいます。
それでも、「やっぱりどの物語もラブライブ!なんだなぁ」って思うことばかりで、「ラブライブ!っていいなぁ」って思うんです。
追いかけても追いかけても新しい景色を見せてくれる、でもそれは紛れもない『ラブライブ』で、「『ラブライブ』であること」こそが、僕が『ラブライブ』を追いかけるモチベーションになっています。
今回の企画に対する僕の答えって少しずるい気がしていて。まぁ上手く言えないんですけど(すいません)。
でも、僕だって一ラブライブの受け手としてラブライブに参加する一員でありたいと思っているし、一員であるからこそ「『ラブライブ』であること」を大切にしていきたい。
もしかしたら、みんなが思っている当たり前のことなのかもしれないけれど、これが僕の答えだと自信を持って、ここに提出いたします。
『ラブライブ』とは?
この問いに対する答えは人によって違うでしょうし、これからも変わっていくことはあると思います。
でもそれが紛れもなく『ラブライブ』であり、みんなで夢を叶えて続けていってほしい。
そして、また来年も、再来年も、その先もこのよき日を祝い続けていきたいです。
最後に
今回の企画の主催者である生春さん(@Time_mrsi)、素敵な企画をありがとうございました!
ブログは興味があったことなので、夢がここから始まったのかもしれません。
大袈裟に言えばですけどね。
ところで、もっと書きたいことが出てきたのですが、そこまでは力及ばず…
それはまたの機会に。
よし、これから他の方々の大切にしているものを知りに行きたいと思います。
楽しみだ~!
P.S...
(読んでくれた皆さん)どうもありがとう
~おまけ~
「大好き」って素敵だと思います。
しかし、大好きを叫ぶ彼女のように、周りが見えなくなってしまうことだってあるでしょう。
暗闇の中を歩いていると、自分がまっすぐ歩けているかわからない。
周りが見えてこそ、まっすぐ歩いて行ける。
時に、大好きには責任もついてくる。
だからこそ、大好きを叫ぶなら、まっすぐ本気で歩きたい。
険しい道もあるかもしれない、寄り道ばっかりしてしまうかもしれない。
でも、自分の大好きに「まっすぐ」な道ならそれでいいんじゃない?
「大好きを否定しない世界」、そして「大好き」がもっと溢れていくことを願って。